ニカラグア通信


総集編:ニカラグア奮闘の二年間(平成26年~28年)


ニカラグア通信16(最終号)

奥村さん、2年間の活動本当にご苦労様でした。また、ニカラグア通信でたくさんの貴重な情報を発信していただきありがとうございました。

日本に帰るという気持ちの昂ぶりも大きいでしょうが、今やわが子のようになった子供たちと離れるという寂しさや不安感も大きいことでしょう。残りの日々を精一杯ニカラグアの人たちに希望と勇気を与えてやってください。

やまびこ会一同、いや、原市場地区のみんなが奥村さんの帰国を心待ちにしております。

お体を大切に、無事にお帰り下さい。


2016年5月8日
                                奥村 洋

やまびこ会の皆様、原市場東自治会の皆様、如何お過ごしでしょうか。
日本はゴールデンウィークも終わり、原市場もきっと今頃はハナミズキがきれいに咲いているのではと思っています。
さて皆様にお世話になりながら、何とか過ごしてきたニカラグアでの生活も残すところ、50日あまりとなってきました。7月2日(土)日本に帰国が決まりました。にわかに帰国の準備もあわただしくなってきました。
こちらでは、4月は連日36℃の暑さが続き、水不足での断水、そして5月に入り例年より、ひと月早く雨季に入りました。今は毎日のように雷雨があります。ほんの少しの雷雨でも停電により、インターネットに接続ができなくなり、日本とのメールも断続的な状態になっています。停電で何よりも困ったのは、銀行のATMがシステムダウンをしてしまい、お金を下すのにも時間がかかってしまうことでした。電気、水道、最近ではインターネットもライフラインのひとつともいえるのでしょうが、「これらが安定供給できないのが発展途上国なのだ」とあらためて痛感いたしました。ニカラグアの生活は、不便なことばかりですが、この不便さも「こんなものか」と思って生活を楽しむ余裕も出てきました。
さて私の最近の生活は、配属先での活動が残り少なくなってきたということもあり、週末は国内を旅行することもなく、アパートでパソコンに向かって2年間の活動報告を書いたり、読書にふけったり、ギターで歌ったりしております。4月の下旬に車椅子の子供の介助中に、腰痛を起こしましたが、仕事を休むことができないので何とかだまし、だまし、やり過ごしました。やっと今週になって、普通に動けるようになってきました。
帰国して、みなさんにお会いできる日を楽しみにしております。おそらく来月は帰国の雑務に追われますので、今回のニカラグア通信が最終号になりますことをお許しください。
みなさんのご健康を心よりお祈りいたします。

 

<職場のマンゴーの木>
毎年雨季になると甘いマンゴーが木に実ります。

 

<イグアナの生け捕り>
同僚のアルフレッド(乗馬担当)が、イグアナを生け捕りにして私の教室に持ってきました。
彼の得意そうな表情にニカラグア人の人の良さがうかがえます。

 

<市民の憩いの場、マナグア湖畔>

 

琵琶湖より大きな湖ですが、生活、工場排水による水銀汚染が深刻です。

 

<ニカラグアの子供達>
兄弟たちの学校についてきて、授業が終わるまで友達と遊びます。

 

<アパート近くの公園>
ニカラグアでは、仕事につけない若者たちがたくさんいます。公園に集まってはスポーツをしています。
一見のどかな公園ですが、時々拳銃を持った強盗が出没します。

 

<ハンモックの製造、直売工場>
グラナダという町にあるハンモックの工場、ニカラグアはハンモックが特産品。
一本完成するのに1日かかり、価格は40ドル。この職人さんたちは、

どれくらいの人件費で働いているのでしょうか。


ニカラグア通信15


2016年3月13日
奥村 洋

やまびこ会の皆様、原市場東自治会の皆様、お元気でお過ごしのことと思います。
3月11日は、東日本大震災から5年、あの日のことを思い出しました。私も仲間とじっとしていられず、ひと月後、宮城県の亘理町にボランテイアに行きました。崩壊した自宅の庭で、黙々と奥さんと一緒に瓦礫を片付けていたお爺さんの姿が今も忘れられません。
時々アパートでギターを弾いて、やまびこ会を思い出しながら「花は咲く」も歌っています。
故郷の原市場は大量の花粉がまっているのではないでしょうか。私も日本にいた時は花粉症に悩まされましたが、ここニカラグアには杉やヒノキがありませんので、大変快適に過ごしております。ただこちらは今、一年で最も暑い4月に向けてジリジリと毎日気温が上がっています。今日も外の気温は34℃以上になっています。日中はこの気温ですので、買い物等に外出するには早朝か、夕方日が沈んでから出かけることにしています。日中外に出ると頭がくらくらしてきます。
そんな私のニカラグア生活も残り3か月余りとなりました。最近はカレンダーを見ながら、「帰国まであと何日」と数えています。今は日本に帰りたい気持ちでいっぱいです。望郷の念に駆られている私ですが、先週は家内と息子がニカラグアに来てくれて、一週間一緒に過ごすことができました。私もこの間職場の理解が得られ、休暇を取ることが出来ました。
家族の絆のありがたさを改めて認識しました。家族のニカラグアの印象は、人がとても穏やかで、治安も悪くなく、物価も安いし、暑さを除けばとても住みやすいよい国だと言っていました。今世界を眺めるとヨーロッパもテロがあり、中東、アジアも危険、唯一中米は政情的にも安定してイスラムの影響を受けないので、これから観光や企業誘致が進み、ニカラグアもさらに発展していってほしいなと思っています。
*    JICAニカラグア事務所が、私の活動プロモーションVTRにしてくれました。FACE BOOKで、JICA NICARGUAで検索すると出ます。よろしかったらご覧ください。

 

<マナグア郊外の山の上から見えた 夕陽>
ニカラグアの手つかずの自然は雄大です

 

<ニカラグアの家庭料理>
トウモロコシの生地で、ご飯を包み、油で揚げます。キャベツと玉ねぎと人参のサラダを
上にかけて食べます。少々油こいですが、美味しいです。

 

<レストランの食事>
左上 トルテージャと言って中米の国々の主食です。(トウモロコシ)
お皿の上のご飯 ガチョピント(味のついた赤飯)、チキンも巨大です。

 

<北部の田舎町でのハイキング>
温泉の流れる川。お湯の中に足をいれていると気持ちいいのですが、

砂の上を歩いていると、小さな蟻がかみついてきます。

 

<左がニカラグアの息子、 右が日本の息子です>

 

<職場の同僚を招待して、パーティー>
お寿司が好評でした。中央が日本の妻です。


ニカラグア通信14


2016年2月21日
                                 奥村 洋

みなさんお元気でお過ごしのことと思います。
私の拙い文章「ニカラグア通信」をいつも原市場東自治会のHPに記載いただき、みなさんに読んでいただけることに、大変ありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。やまびこ会ではいつも三月には、「春いちばん」を歌っていましたね。今年もその時期になりました。日本は「春の嵐」で天候不順と聞いております。ニカラグアは連日のように晴天です。もう4,5か月も毎日、毎日同じ天気で変化がありません。最近は連日強風が吹き荒れています。洗濯物はすぐに乾きますが単調な気候です。変化のある日本の四季が、日本人の繊細さを育んでいるのではとつくづく感じています。
さて今回は私の苦労しているスペイン語で、特に人の名前について話題にしたいと思います。スペイン語では、形容詞や名詞を男性形容詞、男性名詞(語尾がO)、女性形容詞、女性名詞(語尾がa)となり、会話の中で使い分けます。たとえば男性が病気の場合は、エンフェルモ(enfermo)、女性が病気の場合はエンフェルマ(enferma)となりますが、人の名前も例外ではなく、男性の名前は語尾がO、女性の場合は語尾がAの人が多くいます。
よく聞く人の名前ではフェルナンド(Fernando)は男性で、フェルナンダ(Fernanda)は女性ということになります。ここまではいいのですが、職場の同僚や生徒達の名前が似たような名前が多くて苦労しました。ベルナンダ(Bernanda)、フェルナンダ(Fernanda)、ブレンダ(Brenda)という三人の女性がいて発音に苦労しました。またニカラグア人から見ると日本人の名前は不思議なようです。日本の女性は~子(ko)という名前が多いと話すと、「語尾がOなのになんで女性なんだ?」と話題になったこともありました。学校の女の子たちは素敵な名前が多いです。ステファニー、カルメン、セレステ、レベッカ等。また聖書の代表的な人物から命名して、Isaia(イザイア)、Moises(モイセス) Anna(アンナ),Maria(マリア)等はスペイン語圏では、多い名前です。今回はちょっとつまらない話題になってしまいました。ではみなさん、次回をお楽しみに!!

 

<同僚の家族達と日曜日にマサヤという町に遊びに行きました>

 

<フェスティバルがあり、公園では民族ダンサーが踊っていました>

 

<フルーツジュースのお店>
 熱帯気候のニカラグアは、フルーツの宝庫です。バナナは一山で日本円12円
 スイカ、メロンの(大)200円前後、オレンジ、パパイヤ、マンゴー等など日本では
考えられない安値です。このお店では好きな果物をミックスジュースにしてくれて、とても美味しかったです。ただ私は大丈夫でしたが、ニカラグア人の友達が下痢になりました。

 

<毎年11月~1月下旬まで、マナグアの中心街にはきれいなクリスマスツリーが飾られます。

この近くにオルテガ大統領の官邸があります>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<モモトンボ火山の噴火>
火山国のニカラグアには、あちこちに富士山に似たような標高1500m~2000mの山があります。去年の12月には、ニカラグアの郊外にあるモモトンボいう火山が大噴火をしました。
職場の建物の2階から、正面に見えました。
国の規制が緩いので、噴火が治まるとすぐに立ち入り禁止が解除されて、観光客が登山しています。


ニカラグア通信13


2016年2月5日
奥村 洋


みなさんお元気でお過ごしでしょうか。
先月のみなさんの活動も楽しく拝見いたしました。1月は4日から仕事が始まり、新学期のあわただしさでニカラグア通信の発送が遅れて申し訳ございません。2月に入ってやっと落ち着いてまいりました。
さてこちらは、今は乾季の真っただ中でカラカラに乾燥して、気温は連日30度前後、それでも朝晩は、24.5℃になりますのでだいぶ過ごしやすくなってきました。ニカラグアの乾季は2月~3月にかけて風が強くなり、マナグアの市内は埃っぽく、アパートも窓を開けておくと部屋の中が砂っぽくなってしまいます。もう4か月ぐらい、雨が一滴も降りませんが、まだ帰国する頃までは雨が望めません。
私の最近の生活と言えば、残りの任期も5か月を切り、配属先での仕事が中心になってまいりました。JICAの仲間に週末会うことがないと、1~2カ月ぐらいは日本人と会うこともない生活です。
今中南米で一番話題になっていることは、日本でも報道されていると思いますが、ジカ熱という蚊を媒介とする、新しい感染症がブラジルを中心に広まって、中米にも入ってきました。私の住むマナグアでも30人くらい感染者が出ています。妊婦が感染すると小頭症の新生児が生まれる可能性がありますが、通常は感染してもデング熱やチックングンジャ熱よりは症状が軽いようです(まれに神経障害で死亡することもあるとか)。ニカラグアはとにかく妊娠している女性が多いので、これからブラジル以上に被害が拡大する危惧があります。グアテマラ、エルサルバドルでは妊娠を一時的に禁止する策を政府が出したとか聞きましたが、すべてのことに対応が鈍いニカラグアの政府は、今のところ何も対応策を出していないので、これからどうなるのか心配です。
日本は雪が多く降っていると聞きました。春の訪れが待ち遠しいことと思います。どうかみなさん、お体をお大事にお過ごしください。


 

 

 

 

 

 

<同僚の先生たちと>

 

 

 

 

<担当の生徒のイスマエル君>
重度の脳性マヒの子供さんですが、ニカラグアでは彼のような、重度の障害児は通える学校がありません。私の配属先のNGOに登録して、家庭の事情で週1度だけですがお母さんとスクールバスで通学してきます。とても頭のいい子で、いろいろなことをすぐに覚えます。いつも笑顔の絶えないイスマエル君との授業は、私もやりがいを感じて楽しい時間を過ごしています。

 

<教会で出会った仲のよい兄妹>
中南米は、家族の絆が強く、子供たちは小さい弟や妹の面倒をよく見ます。日本も昔はそうだったのでしょうが・・・これも発展途上国から学ぶことのひとつです。

 

 

 

 

 

 

 

 

<ルーベンダリオの像>
ニカラグアが世界に誇る詩人、ルーベンダリオの像が、マナグア市内を見渡す丘の上の公園にあります。
背後に見えるのはマナグア湖です。


ニカラグア通信12


2015年12月24日
奥村 洋


ごぶさたしております。みなさまお元気でしょうか。
私のこちらでの生活も残りが、6か月となりました。マラソンに例えると35kmを過ぎて、本当に最後のラストスパートになってきました。配属先での2015年の活動は、先日17日に子供達とのクリスマスパーティを行って終了となりました。
新年は1月4日から、仕事が始まります。
仕事はやっと慣れてきて、担当する子供たちの家族や先生たちがスペイン語をろくに話せない外国人教師の私を、温かく受け入れてくれています。そういうところが、ラテンの国のおおらかさなのですが、それに救われて何とかやっているという感じです。
そして休みに入ったので、さっそく休暇を利用してクリスマス前の4日間だけでしたが、メキシコに旅行に行ってきました。その様子を少しご報告いたします。
日本からですとメキシコはかなり遠い印象ですが(直行便はあります)、ニカラグアからは3時間半で、メキシコシテイに着きます。今回は3泊4日だけの旅行でしたが、世界的な観光地だけあって、見どころがたくさんありました。メキシコの見学地のメインは、なんと言ってもマヤ文明の「テオテイワカン遺跡」(世界遺産)です。ピラミッドといえばエジプトを連想しますが、ここにはマヤ文明のピラミッドが広大な敷地の中に点在しています。メキシコシテイは、大きな近代都市で非常にきれいな街でした。街中には美術館や博物館がたくさんあり、中米の最貧国ニカラグアから来た私にとっては、夢のような街でした。メキシコの物価は、中米の国の中では高い感じがしましたが、日本人の感覚からすると割安です。治安も国を上げて観光客を保護するために、警察が力を入れているので安心して街を歩くことができました。
こちらで2回目のクリスマスを迎えます。異国で一人で過ごすクリスマスは、孤独ではありますが、これも慣れてしまうと悪くはないものです。来年はやまびこ会でクリスマスの歌を歌えるのを楽しみにしています。では、また。

 

12月8日 プリシマ(聖母マリア受胎告知)祭日、マナグア市内はとてもきれいな装飾が施されます。

 

クリスマスパーティ 同僚たちと

 

担当する子供の家族と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テオテイワカン遺跡にて

 

メキシコシテイの中心部


ニカラグア通信10


2015年9月26日
奥村 洋

 

 やまびこ会のみなさん、お元気ですか?
ニカラグア通信の発送が遅れまして、大変申し訳ございません。
やまびこ会の参加者記録更新、おめでとうございます。会の発展の様子を毎回楽しみに拝読しています。
日本は9月の連休も過ぎて、日に日に深まりゆく秋を感じておられることと思います。私のニカラグアでの生活も1年3か月が経過いたしました。残り9か月となりました。生活や配属先の仕事には慣れてきたものの、残りの期間を悔いの残らぬようどう過ごしていくべきか考えています。JICAのボランテイアは、3か月ごとに新隊員が着任し、任期を終えた隊員が帰国していきます。こちらに来てからは、その3か月があっという間に過ぎていく感じがいたします。またニカラグアでの生活にどっぷりつかってしまっている自分が、帰国して日本の生活に適応できるのか、漠然とした不安もあります。
去年もお知らせいたしましたが、9月12日~15日はニカラグアの独立記念日で連休でした。普段の仕事がここのところハードで、今年はのんびり休養しました。
今私の両腕は、情緒の不安定な子供への指導のために、ひっかき傷やかまれたり、あざだらけになっています。日本でも職業上当たり前のことでそれ自体は何でもないのですが、ニカラグア人の先生たちは、難しい対応の子供の指導をこちらにまかせっきりにしてきます。同僚とのコミュニケーションの難しさやストレスもあって、くたくたに疲れて家に帰るとしばらくは、ソファーから起き上がれない日が時々あります。そんな時、やまびこ会で歌った曲をYou tubeで聞くと、なぜか自然と力が湧いてきます。
今年は、日本とニカラグアの国交樹立80周年だそうです。それを記念して先週末、日本の海上自衛隊の艦隊が訓練航海で、コリントという港に寄港しました。在ニカラグアの日本人やJICAのボランテイアも海上レセプションに招待され、久しぶりにおいしい日本食をいただきました。ほんとうにおいしかった~!!

 では、また。

 

配属先での独立記念日の行事、先生たちが民族衣装を着て踊ります。


奥ちゃんと愉快な仲間たち


コリント港に寄港した、自衛隊艦隊


ニカラグア軍の出迎え















艦長さん、かっこいい人でした


夜のマナグア市内    夜間は安全のためタクシーで移動します


ニカラグア通信9


2015年8月25日

奥村 洋

やまびこ会のみなさん、ごぶさたしております。
今年の日本の猛暑は、異常気象と思われますがニカラグアも2年連続で雨季に十分な雨が降らない日々が続いています。11月くらいからは、完全に乾季に入るのでこのままでは深刻な水不足が予想されます。
先週は、配属先の水道が1週間断水しました。断水しようが、停電が何日続こうが、毎日50人前後の子供たちが登校してくるので大変です。トイレは水洗ですが、用を足した後バケツに水を汲んで毎回流さなければなりません。日本人の私にとっては、とても不便に感じましたが、ニカラグアの人たちにとっては、普段の自宅のトイレがこの手動水洗なので、誰も文句も言わずに当たり前のように過ごしていました。
便利な生活様式に慣れきっている日本人は、これではいけないなと感じた次第です。そして金曜日にやっと水道から水が出た時には、「やった~」と思わず叫んでしまいました。
毎回、やまびこ通信を楽しみに拝見しています。今月の横山さんの原爆体験のお話は、私もお聞きしたかったです。ニカラグアの人たちも原子爆弾が、日本の終戦前に投下されたことは知っていて、よく話題になります。とても興味があるようなのですが、ただ正確な知識を学校できちんと教えられていないので、私の同僚のある先生は中国が原爆を広島に落としたと思い込んでいました。ほとんどの人は、第2次大戦で日本とアメリカが戦ったということさえ知りません。でもそれは逆を考えれば、日本人も中米の国の独立の歴史など大半の人は知らないので、お互いの文化歴史を正しく伝えていくことも、我々JICAボランテイアの一つの使命でもあると思いました。世界は広く、国によって文化や生活の違いがあり、その多様性を認め合って国際社会が成り立っているのだということを、この年になって実感として学びました。ぜひ若い世代の人たちは、海外に出て平和国家日本のよさを世界に伝えてほしいなとつくづく感じています。日本はすばらしい国ですね。今、ニカラグアで日本人として生まれたことに誇りを持って生活しています






配属先での仕事の一場面

言葉のない自閉症児にニカラグア人の教師とペアで、コミュニケーションの指導を行っているところです。






子供たちにお絵かきの指導

年間を通して、たくさんのアメリカ人、カナダ人がボランテイア訪れます。

 

 

 

 

 

一日の始まり6時半には出勤して、清掃から一日が始まります。






子供達との遊びの時間屈託のない子供たちの笑顔。

どこの国でも子供たちは、国の宝ですね。


豊かなニカラグアの自然モンバチョという休火山から見下ろした、ニカラグア湖。海ではありせん。世界で4番目に大きい淡水湖です。


ニカラグア通信8


2015年726

奥村 洋

やまびこ会のみなさん、こんにちは。日本は今月、台風の襲来と酷暑とのニュースをYahooで見ましたが、みなさんお元気でお過ごしのことと思います。

東京の気温に比べると、ここニカラグアの方が今は涼しいようです。と言いますのも中米はカリブ海と太平洋に挟まれていますので、年間を通して風が吹いている日が多く、暑いのは暑いのですが、それほど蒸し暑さを感じません。この気候に慣れてしまっているので、日本に帰った時、四季折々の気候の変化に順応できるのか心配です。

7月に入って、いくつかのイベントがありました。ひとつは、EXPICA 2015 がマナグアで開催され、職場の同僚と行ってきました。農業国である中米の国々で開催される農業博覧会のようなもので、農業機械や肉の即売、牛や馬の品評会等が行われていました。職場でも建築資材等をこういう機会に安く購入して、ボランテイアが協力して、たいていの設備工事は自分たちで行っています。

今週、写真はありませんが日本から外務大臣政務官の宇都隆史という衆議院議員が、ニカラグアに視察にきてJICAの事務所で懇談をしました。私はあまり政治家が好きではないので喋りたくありませんでしたが、それでも我々の現地での苦労話やJICAのニカラグアでの活動についての話を真剣に聞いてくれていました。

26日(土)には、日本とニカラグアの国交50周年を記念してのJAPAN FESTIVALがありました。日本からサルサ歌手のノラさんが来て、ニカラグアのプロのサルサバンドが演奏をしました。こちらはサルサが本場なので、会場は日本人もニカラグア人も大盛り上がりでした。(今回のイベントは、プロが来たので私たちには出番はありませんでした)。

お蔭様で病気にもかからず、現地での生活を楽しんでおります。また来月こちらでの様子を報告させていただきます。

みなさん、お元気でお過ごしください。

今回過激な画像がありますので、心臓の悪い方はご注意ください。

 





アパートの近くの通りの様子。

ニカラグアでは、ハイブリッド車から馬車や牛まで、一緒の道路を走ります。

 

 {閲覧注意} その1

月曜日の朝、出勤時は要注意です。いろんな生物が出没。この日は蛇の死骸が校舎の入り口に!頭部がないので、多分イグアナか野良犬にやられました。模様からして、日本のマムシと同じ種類か?

 

 

 

 {閲覧注意} その2 巨大ナメクジ出没!!






EXPICAの会場はマナグア湖の湖畔でした。

 

 

 

 {閲覧注意} その3 豚肉の即売会場です。






ノラさんは、世界的に有名なサルサ歌手です。

 

 

 

 

若い日本人ボランテイア達と会場で。真ん中の男性は、我々をいつも安全に運んでくれるタクシードライバーのウゴさん。





マナグアの特別支援学校の生徒もステージで合唱を披露しました。






会場となったマナグアのショッピングモール。


ニカラグア通信7


201573

                                 奥村 洋

 やまびこ会のみなさん、ごぶさたしております。

みなさんお元気でしょうか?3周年記念のみなさんの活気のある写真をみて、若さの秘訣は、歌を歌っているからとつくづく感じました。

今週は配属先での仕事がかさなり、送信が遅れてしまい大変申し訳ございません。

さて、去年の7月3日に成田を立ちましてあっという間に1年が過ぎました。体調も良好でこちらでの生活を楽しんでおります。最近はJAICAの国内文化紹介のイベントもひと段落して、週末は家で本を読んだり、スペイン語の勉強をしたり、ギターを弾いて歌ったりしております。

前回予告しました通り、先月職場が1週間の休みになりパナマに3泊4日の旅をしてまいりました。少し報告をさせていただきます。

ニカラグアからは飛行機で約1時間半で、パナマシテイに着きます。

100年前のアメリカの運河建設によって、中米で最も発展を遂げたパナマは治安もよく、安心して街を歩くことができます。空港からハイウエイで新市街に入る周りの景色は、東京で首都高から都心に降りる雰囲気によく似ていました。「なんでこの角に、牛丼吉野家がないんだ?」と思わず錯覚を起こすほどでした。

パナマ運河の建設工事の歴史の中にも白人支配による黒人の労働によって、運河が完成したことを運河博物館の見学を通して知りました。

中米では、国と国との間に格差があり、国の中にも格差があります。高層ビルの並ぶパナマからマナグアに帰るとニカラグアの首都とは言いながらも、高層ビルなどなく、ポンコツタクシーの走る町の格差は歴然としています。

ニカラグアで生活していく上で日本人である自分にとっては、最近一番しんどいと感じていることは、職場の同僚との格差であります。案の定、休暇明けに月曜日職場に出ると同僚達に聞かれました。「休みは、どうしてた?」と、嘘は言いたくないので、「パナマに行ってきました」と答えましたが、職場の同僚たちのほとんどは、隣国のコスタリカやホンジュラスへバスでさえ行ったことがありません。それを気にしていたら、何も経験できないので、残りの任期1年、南米や他の中米の国も旅行し経験を広めたいと思っています。


では、またやまびこニュースを楽しみにしております。









パナマ市街

横浜に似ています。








パナマ運河

ミラーフローレス水門









世界中から観光客がきています。






閲覧注意!!

中南米に生息する

  巨大ゴキブリ

 (運河博物館)

体調15~30cmくらいあります。








マナグアのUCA(中米大学)

日本語を勉強する学生たちが、

日本文化で「流しそうめん」を体験しました。

でも流したのは、スパゲッテイー。

マナグアの韓国食材店で、そうめんは買えますが、非常に高いのです。

 

 

配属先 NGO  Tesoros de Dios (神の宝)で担当する子供達。

 配属先の業務は困難の連続ですが、この子たちのかわいい笑顔を見ると「頑張らねば!」

と力が湧いてきます。

 よろしければ、HPをご覧ください。(英語とスペイン語)

http://www.tesorosdedios.org/newsletters.html

http://www.tesorosdedios.org/default.html


ニカラグア通信6


 やまびこ会のみなさん、ごぶさたしております。

お元気でお過ごしのことと思います。私もお蔭様で元気にやっておりますが、なかなか思うようにスペイン語が上達せずに、気分的にはスランプ?に陥っております。

さて、こちらは乾季から徐々に雨季入り、時々雨が降るようになりました。といっても日本のような風情のある梅雨とは違って、バケツの水をひっくり返したような雨が短時間、雷雨とともに降ります。乾季の半年間は、一滴も雨が降らないのでまさに恵みの雨です。これでとりあえず水の心配はなくなりました。

先週、5月16日(土)エステリという町で日本文化紹介のイベントに参加してきました。おにぎりを販売、浴衣体験、書道、日本の伝統的遊び等、日本の文化を理解してもらうために、このようなイベントを各地で行います。今回は東日本大震災のブースを設けて、写真パネルの展示をしました。そして閉会式では、最近ネパールで起きた地震の被災者への思いも含めて、来場者全員と日本人で「花は咲く」を合唱しました。伴奏はギターと若い隊員が、リコーダーでメロディを吹いてくれました。ニカラグアの人たちに、日本の曲がどういう風に伝わるのかとても不安でしたが、日本人とニカラグア人の心が一つにつながって、とても気持ちの良い演奏ができました。ニカラグア人の中には、涙を流しながら歌っている人がいたと後から聞きました。譜面も読めない私が言うのは、心苦しいのですが「音楽っていいな」と心から実感しました。これも石倉のやまびこ会の皆さんと白水先生のご指導の下、いつもギターを弾きながら歌わせていただいた経験が、ニカラグアでの小さな国際交流につながりました。改めて、やまびこ会のみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。(Facebookには動画が投稿されています)。

 





東日本大震災ブース前での合唱、みんなで千羽ツルも折りました。布に来場者の手形で、きれいな花を咲かせました。

これがほんとの、

「花は咲く」?






イベントの後の打ち上げ、このメンバーが合唱をリードしてくれました。





職場の同僚 Wendy(右の女性)の結婚式に参列しました。

ニカラグア人と同じくらい黒くなってしまいました。





マナグア市内でのイベント

貧困層のホームレスの子供たちとの交流、お箸の使い方を教えました。

みんなかわいい子供達でした。

この子たちが、犯罪に手を染めず、ニカラグアの社会で少しでもよい生活ができるように祈ります。




パナマへ3泊4日一人で行ってきました。ニカラグアからは飛行機で1時間半と近い距離です。パナマ運河の見物と市内観光をしてきました。中米でもっとも発展しているパナマは、横浜や東京と変わらない風景でした。

次回、レポート致します。

お楽しみに。